ブロガー整理学「PV(アクセス)が欲しいか、ならばくれてやる」

最近は周囲で将来のことを悩む人に遭遇したり、ブロガーとして頑張ろうという人との関りが深くなって来た。

2005年からブログをやっている者としては、自分自身も新ドメインを立ち上げたりして、ここ最近で学んだことも多かったりする。
そこで今回は御礼も兼ねて、今まで見かけたブロガーたちを整理してみる。

ちなみにぼくが当記事で定義するブロガーとは、ブログを書く人でもなければ、ブログで売上を得る人でもない。「ブログでPV(アクセス)を得る人」のことである。

そういう意味では友人にいつも文章推敲まで頼んでおきながら、ついにGoogle検索エンジンに登録することがなかった我が父親は、残念ながらブロガーには含まれない。

(友人たちにだけ読んで貰いたかったのか、はたまたモジモジ君なのか… とにかく謎理論で動く人なので、現時点では外しておく)

検索エンジン派

北斗の拳というマンガがあったけれども、ともかく整理学を始めると、流派の多いことに驚かされる。検索エンジン派にも、ぼくから見ると、二通りが存在する。
と、いうか、本来は “正統派” だけのハズなのだけれども、妙に変な皮をかぶったシン正統派が多い。

だからGoogle検索エンジンのアップデートのたびに、阿鼻叫喚の騒ぎが起こったりするのかもしれない。

正統派

一子相伝の北斗神拳のように、検索エンジンで上位に位置する記事を提供することだけが、あえて全てだ定義することに徹した者たち。
一見すると人間性などを全て否定している気がしないでもないけれども、人間性さえ検索エンジンでの評価対象になるという信念を持ち、検索エンジンへ全てを捧げている。

こうやって見ると、最も純粋で、最も技術者肌である。実はぼくから見ると、正統派には尊敬できる人が最も高く属する。今現在はブログをやっていなくて、SEO技術者として生計を立てている者もいる。

聖闘士星矢という少年マンガに登場する “フェニックスの一輝” のように、とても頼もしい面も持つ。検索エンジンの評価が下がったら、素直にそのことを認める潔さもある。

一般人から理解を得ることは難しいかもしれないが、ぼくとしては大いに共鳴するところがある。検索エンジンの挙動を分析したり、そこから提供されるデータを解析したりして、黙々と順位アップに励むのだ。これは一流大学の入試問題を解くように、スリルとワクワク感に満ちている。

他人が気づかないことに自分だけが気づき、それで結果が出た時などはサイコーだ。逆に数学の証明問題と同じ面があり、ちょっとした油断が命取りとなって、全くスコアを獲得できないこともある。

そういう訳で、検索エンジン派を真っ先に紹介させて頂くことにした。検索エンジンは偉大である。検索エンジンに栄光あれっ!

探求派

文章を書くのが好きだとか何だとか言っておきながら、結局は検索エンジンで上位に位置されるのを重要視する集団。コンビを組んだり、主婦ブロガーとして活躍する者もいる。

人間性だとかやさしさだとか、人の良さを醸し出す者が多いけれども、ダマされてはいけない。彼らや彼女たちは、検索エンジンの評価結果が全てなのだと熟知している。
検索エンジンのアップデートで順位が大変動した時などに、その本性の一端を垣間見ることが出来る。
「文章を書いて誰かに分かって貰えれば嬉しい」のであれば、我が親父のように検索エンジン登録など不要という「悟りの境地」にいるハズである。やっぱりPV(アクセス数)が全てなのだ。

どうして正直に自分を認めることが出来ないのか、不思議である。プライドというものが、正統派で腕前がそこそこに過ぎないので文章などで補う必要があるということを、認めたくないのかもしれない。
ただし探求する姿は少々面倒だけれども、検索エンジンとの戦いには不可避の戦力である。初心者は大いに見習うべきであると思う。

ニセ者

探求派は何だかんだと言っても、本質的に検索エンジン結果というかPV(アクセス数)が全てであることを認めて、アクセス数の確保を目指している。
こちらの “ニセ者” は逆で、正統派のようなフリをしながら、実は検索エンジンとの戦いを諦めてしまった者たちである。それなのに正統派のようなフリをして、初心者から寄付を得ようとしたりするのがタチ悪い。

ちなみにこの手のニセ者には、過去実績を売り物とする存在が多い。エッ、2005年からブロガーであることを自称している “ぼく” ?
ぼくがニセ者である可能性は、全く否定しない。あなたが自分の目で見て、そうだと認識した結果が全てだろう。

SNS派

某ちきりんさんのように、SNSで得たフォロワーをベースとして、そこからブログへ誘導してPV(アクセス)を得る流派。フォロワーが20万人くらいは欲しいけれども、数万人程度でも何とかなる。
要は、フォロワーが数万人しかいなくても、「いかに上手へブログへ誘導するか」である。その腕前も、ブロガーの力量の一つとして評価される。

なお最近はSNSやYoutubeしかやらず、ブログへの誘導をしない者もいる。こういった者はPV(アクセス)を得ていないので、残念ながら今回の定義ではブロガーとは呼べない。
ブロガー作家と自称する人もいる。余計なおせっかいかもしれないけれども、たまには記事を公開した方が良いような気がする。
(それとも公開はせず、密かにブログ記事を投稿していたりするんだろうか?)

コミュニティ派

ぼくが最近挑戦してみたいと思っているのが、この “コミュニティ派” だったりする。
人気ブロガーランキングや、はてなブログ内などでのオススメから、ブログのPV(アクセス数)を得る人々だ。
noteで日経何たらとタグを付けて、そこからブログへのアクセスへと繋げる池澤あやか嬢なども含まれる。なかなか見事な着眼点と手腕である。

なおニフティのココログなどはコミュニティが脆弱化してしまったが、それでも立派に存在価値はあるように見える。
たとえばココログの「七人家族の真ん中で」は月間1MPV程度だが、その半分は人気ブログランキング経由でアクセスして来る者である。そして人気ブログランキングで上位評価されるためには、数十名の「いいね」があれば良い。
つまり何が言いたいかというと、ココログ利用者というのは人が良い者が多く、けっこう「いいね」を押してくれる。(ぼくも「七人家族の真ん中で」は応援したいので、こまめに「いいね」を押させて頂くようにしている)
これが人気ブログランキングでの上位進出となり、その結果として人気ブログランキングからの流入が増えるという構図として成立する。

ちなみに検索エンジンではなくて読者評価がPV(アクセス数)獲得へ至るモノサシになるので、ブログ記事自体は短めになることも多い。絵日記タイプも多い。とにかく上位は楽しめる記事ばかりである。
それでも内容が面白いからアクセスされるのであって、呪術廻戦的には「それはアリだ。夏油君」となる。
検索エンジンやSNSの影響力が強くなる前から存在しており、今後も継続して存在を続けることだろう。検索エンジンほど費用対効果は良く無いけれども、安定していることが特長となる。

化石派&まとめ

以上のどれにも属さないのが、一匹狼的な “化石派” となる。
実のところ、ぼく自身が自らを化石派だと思っている。
化石派の特徴は、誰にも真似のできない一芸やデータを保有していることである。
例えばぼくの場合は70年前の万年筆を多数保有し、それらのメンテナンス方法を解説することが出来る。

こういったマニアックな分野は、昔から根強い参照希望者が存在しており、検索エンジンでも安定的に上位表示される。だって、誰がどう見ても、その記事しかトップはないだろうというネタなのだから。
(パクれば一発で、そのことも把握できてしまう)

検索エンジンの正統派のように、より上位の世界を目指すことは難しい。でもまあ、ボチボチと生きていくことは出来る。
(心の中では同病の士を増やしたくて仕方ない。しかしさすがに若者の万年筆ブームがあっても、数万円のニブ(ペン先)をラッピングフィルムで削って喜ぶ世界は、あまりにマニアック過ぎる。あと一歩でペンドクターという殿堂へ仲間入りだ)

… 以上のように、まとめて見ると、幾つかの流派に分類することが出来そうだ。
そしてこうやって見ると、改めて我が親父は化石派に分類されるのかもしれないと思う。つまり検索エンジンに頼らずとも、見つけてアクセスしてくれる人が出て来ることを信じていたという訳である。

そしてこれは、あながち的外れな考え方ではないかもしれない。
なぜなら先日Google Search Consoleのカバレッジ情報を参照した時、自分が記事中に書いた「架空のURL」が参照不可能ページとしてリストアップされていたからである。
全く以てして、Googleの検索エンジンというのは大したものだと尊敬させられる。
(つまり、ぼくが親父のブログのURLを書いていれば、Googleの検索ロボットは、そこから彼のページへも訪問していたことになる)

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静(おのたにせい)