ADSL終了相談の裏に隠されたメッセージ

ぱくたそ素材(河村友歌)

ぼくは奥さまの友人のために、ADSL設定をやった … やったことがあるようだ。

本人が思い出せないだけれども、そのADSLがサービス終了になるということで相談があった。

とりあえず大雑把な対策方法を説明したけれども、気になることがあった。別にウィザード級ハッカーでなくても、モノ書きならば誰でも気付くことだ。

そこで気にし過ぎかもしれないけれども、一人暮らしで寂しいという人のために、この記事を書くことにした。

まずは技術的な話

ADSLというのは、今から20年くらい前に普及を始めた技術だ。ぼくがブログを開設したのは2005年9月22日だけれども、ADSL回線があったからこそブロガーになれたという面もある。携帯電話やスマホからも記事投稿できたけれども、さすがにブログの基本設定にはPC接続が必要だった。

そんな技術的な経験もあって、奥さんの友だちでインターネットを自宅で使いたいという人のために、二人で揃ってお邪魔して設定作業をしたような記憶が、何となく残っている。

日本では2006年頃がADSLの最盛期だったけれども、辻仁成さんの住んでいるフランスでは2014年が最盛期だったらしい。ともかく現在の日本では光ファイバー回線が一般的で、実家もフレッツ光を契約している。その光回線に、さらに電話機を接続している。

ただし奥様の友だちだけれども、何でも光回線には移行したくないとのことである。彼女が現在住んでいるところを確認していないけれども、少なくとも光回線の設置には工事が必要になる。だから賃貸物件だとかマンションの個別契約には向いていない。

そうなるとADSLの移行先としては、三つの選択肢となる。ちなみに下記のポケットWI-FIルーターとは、モバイルルーターのことだ。ホームルーターもWI-FIルーターだけれども、なぜかポケットWI-FIルーターの方が周囲では耳にする。

  1. スマホのテザリング
  2. ポケットWI-FIルーター
  3. ホームルーター

いちばんお手軽でコスト的にも節約できそうなのが、手持ちのスマホとパソコンを接続してしまう “テザリング” だ。ちなみに我が家の奥さまはパソコンを捨て去り、スマホだけを使っている。今では多くの人がパソコンから離れ、スマホで生きている。

しかし聞くところによると、「ご友人」としてはスマホやタブレットは性に合わないのだそうだ。だから今でもパソコンを使用しており、ADSL終了ということで詰んでいるとのこと。

つまり自宅では、スマホを使うことは多くないということらしい。そこでUSBケーブルなどでパソコン接続しても特に問題ないだろうと、ぼくは “推理” している訳だ。ちなみにWI-FIやBluetoothでもスマホと接続することは可能だけれども、接続設定や接続状況を確認するのに手間がかかる。だからUSBケーブルを使うのが、地味に便利だったりする訳だ。

ちなみにポケットWI-FIルーターは、ぼくもかつて奥さまの実家で利用させて頂いていた。コンセントから給電できて、常時電源オンできるモデルであれば、ホームルーターのように利用できる。電話出力が弱いのに電力を消費するけれども、持ち歩きも可能というメリットがあるので止むを得ないというところだろうか。

と、ここまで書けばお分かりのように、ホームルーターはコンセントに常時接続して常時利用するルーターであり、消費電力が少ないのに電波の出力は大きい。ただしポケットWI-FIルーターよりも少し月額料金が高く設定されており、ここら辺は便利さとのペイオフになっている。

随分と大雑把な説明だけれども、別にADSLユーザー向けの移行解説ブログ記事ではないので、この程度の説明で良いだろう。少なくとも奥さまは、これで十分に満足できるとのことで、友だちにメールを送っていた。

モノ書きの直観

さてプログラマーというかITエンジニア的には「サポート終了につき案件クローズ」ということになるけれども、ここで止まらないのが “モノ書き” の性だ。

名探偵の推理

現在では光回線が主流なのは知っているし、いずれはADSLも終わるとは予想していた。しかしどうして、本日の相談となったのだろうか。

ちょっと気になったので、ADSLの終了時期を調べてみた。

もしかすると、ウィザード級ハッカーというか、ぼくのモノ書きとしての直観は当たっているかもしれない。
ADSLが終了するのは、だいたい2023年3月末から2024年3月末となる。ぼくの3Gケータイがサービス終了するのは、2022年3月末だ。ADSLよりも一年早い。

そして昨今のご時世であり、夕方からは冷え込んで雨が降り始めた。
そこで奥さまに質問してみたら、なんでも「お友だち」は先日まで勤めていたところで仕事がなくなって、昨晩はいろいろな不安で3時間しか眠れなかったとのことだ。

ぼくの友人やぼくが仕事で三時間しか睡眠時間が取れないとは訳が違う。
働きたいと思っていても、良い仕事には巡り合うことができず、ふと自分の手をみれば相当な年齢だ。一人暮らしをしていれば、話をする相手もいない。ぼくが家族に相手にされずに孤独というのとは、根本的な事情が違うのだ。

それから奥さまが追加で説明してくれたけれども、昔紹介した会社後輩の近況も話題にしたらしい。
ぼくはお節介な性格なので、実はこういうところは結構マメだと自負している。頼まれてスキーツアーを企画したこともある。
ただしその後輩は目を始めとして、体のアチコチが悪くなっている。昔だったら姉さん女房で健康管理して貰えたと思うのだけれども、もう今から健康な体を取り戻すのは難しい。さらにめげるだろうから、奥さまには黙っているようにお願いした。

どうも彼女は孤独感を感じたために、奥さまに連絡を取ったような予感がする。ぼくだってこういう時に頼りになるのは、昔からの友人だ。

もちろん昔からの友人でなくても、相談相手はいる。
かつてインターネット以前にパソコン通信をやっていた時には、同業他社の人たちと泊りがけの旅行に行ったりして遊んだことがある。「オフ会」という用語は現在でも通用する。
そして最近は忙しくてコメント欄を閉じているけれども、昔はブログのコメント欄でも交流があった。
さらに現在は、Twitterランドの住人だ。

だからぼくは、一人でいる時に孤独感を感じることは殆どない。
ぼくが孤独感を感じるのは、夜空を見上げる時などだ。
無限に続く時間の中で、ぼくという存在は一瞬だけ意識を持って、そしてはかなく消え去って行く。
壮大な宇宙的スケールの中では、一人の人間の存在というか、そもそも人類の存在でさえもが “取るに足りぬもの” ものだ。
と、いうか、太陽系はおろか銀河系の数十億年など、無限の宇宙の前にはゼロと言っても差し支えない。

それでも … それでも、ぼくは生きている。
人間の思考が神経という物理回路から生み出されている機械的なものに過ぎないとしても、楽しいものは楽しい。
腹が減ったら、飯を食うと満足できる。

何かに失敗したり、絶望した時にだけ、ぼくは先ほどの孤独感を思い出すようにしている。
自分が取るに足りない存在であることを思い出せば、致命的な大失敗でさえもが、大したことはないと開き直ることが … 少しはできる。
どんなにあがいても、起こってしまった出来事は取り返せないと認識することもできる。
そうやって都合の良いように物事を解釈をして、ぼくは再び前を向く。

他人に迷惑をかけることだって、それによって他人は貢献意義を得られると開き直るのだ。
生きている限り、人は誰かに影響を与える。それがプラスかマイナスかを決めるのは、自分一人の問題じゃない。
そもそも人間は集団で生きる生物であり、種としての目的は個体数を増やすことだ。
その個体数を増やすことに具体的な貢献できなくても、それは例えば人類は1億の個体を生み出し、そこから確率論的に増やすことにトライする訳だから、存在したこと自体が種の繁栄に貢献している訳だ。
そして国家は法律によって、弱者を救済することにしている。
本当に種の繁栄にとって迷惑な存在は、刑法で死罪などを課すことにしている。
そういう他人に至極迷惑な存在でない限り、自分に生きている価値はあると開き直っても良いのだ。

残念ながら奥さまの友だちは、ぼくのように図太く開き直ることはできないようだ。
そしてTwitterなどにも参加することなく、奥さまに連絡を取って来た。もちろん連絡を取ろうとすることは、誰かと繋がろうとすることだ。大変に良いことだ。
そして今の彼女には、孤独感を癒してくれる存在が必要だ。

そう考えてぼくは、奥さまに自分の推理を伝えた。
奥さまも、「そもかもしれない」と言ってくれた。
そうしてADSLの一件はぼくの手を離れたので、あとは二人に任せるだけだ。しかしADSLの話だけに終わらず、奥さまの友だちが元気になってくれることを願っている。

なぜなら彼女が元気になれば、奥さまも元気になるからだ。
我ながらエゴイストだと思うけれども、ともかく奥さまの友だちは奥さまに影響を与える存在であることに間違いはない。
だから彼女が元気になってくれることを、ぼくとしても間違いなく願っている訳だ。

こういう時は、スマホやパソコンに向き合っていても、暗くなるばかりだ。せめて天気の良い時の画像を貼り付けておくことにしよう。

明るい空で明るい気持ちに

しめくくり

テレビドラマのブラッディ・マンディでは、「俺は生きて欲しい」と三浦春馬さん演じる高木藤丸(ファルコン)は言った。
その通りだと思う。ぼくも親父を失ったし、三浦春馬さんも失った。
もう誰かを失うのはたくさんだ。

だからこのご時世で大変だけれども、奥さまの友だちには頑張ってほしいと思っている。
別に医者だとかプログラマーやITエンジニアにならなくても、やれることはある。

そして我が家のお嬢様には、学生時代のうちにせっせとスポーツだとか勉学に励んで欲しいと願っている。
ぼくは歳を食ってからTOEICスコア950を取得したけれども、やっぱり基礎的なことは、若いうちにやっておいた方が都合が良いことは確かだ。何かを始めるのに「遅いからダメ」ということは無いけれども、老化という物理法則は無視できない。

Mikanお嬢様:
「げげっ、そう来たか」

それでは今回は、この辺で。ではまた、

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記事作成:小野谷静 (おのたにせい)