献血の思い出
そういえば献血の経験談をした際、神奈川県の二俣川にある運転免許試験場について言及した。
家族が昨年行った時には、新しい装いになっていたとのことだ。献血会場について調べてみても、献血バスではなくなっている。どうやら念願の献血ルームになったらしい。
ちなみにどうして試験場で献血したかというと、家族が運転免許の試験を受けている間に余裕があったからだ。あらかじめ献血会場があることは知っていたので、献血カードなども持参して行くことが出来た。
それではどうして家族の試験に同伴したのかという謎が生じるけれども、これは「ちゃんと試験を受けて貰うため」である。聞くところによると過去に自動車学校は卒業したものの、運転免許の試験を受けずに期限切れになってしまったらしい。
僕のような守銭奴(投資分は絶対に回収する派)には理解しにくいけれども、このようなタイプの人たちも、世の中には相当存在するらしい。家族の友人も自動車学校は卒業したものの、試験を受けることは無かったそうだ。
ちなみに僕は白状すると、逆立ちして受験しても合格する自信があった。(試験内容は予め十分に分かっているのだから、そのくらいは勉強した)
実は同じ自動車学校を卒業したメンツと受験した際に、「自信ないなー」というヤツがいて、「そうだねー、ムズカシかったねー」と返事したものの、心の中の声は「この程度の問題ならばラクショーだろっ…」となっていた。
それはともかく、僕の自動車学校の卒業仲間のように、勉強内容を忘れないうちに、さっさとダメもとで受けてみるというチャレンジ精神が無かったのだろうか?
ちなみに自動車教習所を卒業するだけでも一苦労だった。実技をサボらないように、なぜか僕まで教習所に同伴していた。試験の前は、ちゃぶ台で予想問題を解く様子を見ながら、せっせと洗濯物をしたものだ。
(この時から、「鬼コーチ」という呼称を拝命することになる)
まあ家族の気持ちも分からないでもない。
彼女の安全性テスト診断書を見ると、柔軟性のEをひっ層に、決断力と判断力はDだし、注意力と適応性はCだ。総合判断は、下記のように記述されている。
“強気で自分を主張することが多く、失敗しても自分の方が悪いとは考えない傾向があります。ちょっとした妨害や刺激にも、カッとなる面もあります。ふだんはなんでもありませんが、トラブルなどを起こしたとき、あなたの悪い面が表われがちです。”
*** 安全性についての注意点 ***
“柔軟さに欠け、物事へのこだわりや考え事で、動作や思考が遅れることがあります。危険なので注意しましょう。頭で考えたことを、すぐに動作に移すことが不得手のようです。いざというとき、すばやく判断したり、決断したりできないようです。自分本位に物事を考えてしまう癖が、時折みられるようです。”
“安全運転のこつは、運転技術よりも運転マナーを身につけることです。相手に譲る気持ちを持つことが大切です。ときどき気分が崩れることがあるようです。調子が悪いと感じたらその日は慎重に運転してください。”
“運転には、充分に注意して下さい”
「・・・」
家族とは決してケンカしないように心がけていたけれども、どうやら正解だったらしい。本人は、「わざとそのような解答にした」というけれども、普通は真面目に解答するか、もしくは適当に解答するからランダム解答になるだろう。
うーん、自動車の運転には、僕以上に向いていないような予感がする。
また家族が運転免許を取得した時には、とりあえず自動車を購入しようということになったけれども、家族の母親は「戦車のような車」をリクエストした。
戦車だったら本人は無事だけれども、周囲を破壊しまくるだろうなあと思いつつ、結局はフォルクスワーゲンPOLOを購入した。ただしもちろん、戦車のような運転をされては困るので、手放すまでハンドルを握ったことがあるのは僕だけだった。
そんな状況だったせいか、なぜか当時は自然と献血する気になった。今年は僕が運転免許を更新する予定だけれども、ついでに新施設で献血するのも悪くないだろう。
昨年7月、今年1月、次は4月で年三回となってしまう。そう考えると、タイミング的にも10月で丁度良いかもしれない。
それでは今回は、この辺で。ではまた。
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記事作成:小野谷静