高校時代の友人が二人とも官僚となる確率

ツイッターで高校時代の友人が二人とも官僚となった件を言及する方がいた。
おそらく同じ感覚を持つ人も多いかと思う。「そんなに世間は狭いものなのか?」と。

これ、ある程度の事情を知る者としては「実は世間は狭いんです」と回答したい。
ホントに世間は狭くて、学会に行けば知人はいるし、会社でも高校時代の友人たちと飲み会が開催できたりする。
(グループ社員30万人くらいの企業だけど、昔は自分の職場に高校の先輩がいた)

本当に世間は狭いのである。今回はそのあたりの事情を紹介させて頂くことにしたい。

まず官僚になるために国家公務員試験に合格する必要がある。
国民的TVドラマ相棒の杉下右京さんも受験した試験だ。これに合格しないことには、キャリア官僚になることは大変だ。

ただし見方を変えると、この試験に良い成績で合格すれば、別に高校や大学は関係ない。だから「そんなに世間は狭いものなのか?」という疑問も出て来るような気がする。
その通りだと思う。ぼくも実はこの点を残念に感じているから、この記事を書いている訳だったりする。

大切なのは試験と面接の結果だけれども、日本をリードするキャリア官僚に期待されるのは堅実で優秀な頭脳である。だから試験内容も手堅いものとなる。
間違ってもイラストを描いて貰って評価したり、映画の主人公のオーディションのような演技力をテストするようなことはしない。
まあ高橋洋一教授(失礼!)がキャリア官僚になれたくらいだから、そんなにガチガチな性格が要求される訳ではない。ただし一定の常識は弁えている必要がある。

このような試験を無事にパスする必要があるのだから、当然ながら受験勉強が必要となる。入庁後もやっていける自信がないと、試験を受ける気にはなれない。
だから受験する者は、偏差値70を超えるような高校(進学校)の出身者が多くなってくる。
もちろん進学校でなくても試験さえパスすれば良い訳だけれども、大学受験の合格者を見ると分かるように、数の上では一流大学に進学する者は、進学校出身者が圧倒的に多い。

ぼくは特に勉強などせずに気軽に就職したけれども、気が付けば高校時代の知り合いが何名も同じ会社に就職していた。
だって基本的に努力することが得意で、試験を勝ち抜いてきた者たちだ。だから誰もが入社できるベンチャー企業で自分を試すというよりも、大規模で安定した組織を目指す傾向が出て来てしまう。
もちろん同級生の中には冒険を好む者もいるけれども、そんなに数は多くない。

で、話を戻すとキャリア官僚になれるような国家公務員試験というのは、それなりに壁が高い。あえてその頂上を目指す若い子は多くないという点だ。

これは大学というものの性質を考えると止むを得ないのだけれども、大学というのは基本的に教育機関ではない。
人生をどのように生きるかといったような泥臭い悩みは、高校のような基礎教育のうちに終わらせていることが前提となる。
大学の教授は高校のように担当クラスを持つことはない。自分の専門分野を持ち、その分野の講義を実施する。もちろん大学にホームルームなどは存在しない。
研究室で仲間は出来るけれども、最終学年に近い数年だけだ。

だから高校時代に急激に伸びて一流大学に進学するケースはあっても、大学で人間的に大きく成長するということは稀である。学問的な成長は大いに見かけるけれども。
と、いうか、前述のように丁寧な指導などは無いので、基本的に自分の裁量で判断する必要がある。気の毒だけれども、大学生のうちに選挙権が与えられているように、もう高校を卒業したら、立派な社会人なのである。
たとえ未熟だからと下手に甘やかしたら、むしろ本人たちのためにならない。自炊力を磨くのが大学生活である。

このような考え方に基づくと、進学校を卒業したり、一流大学に入学しない環境の中で、国家公務員を目指そうという者は少なくなる。
そもそも大学は先の通り、学問を修める場所である。国家公務員の受験勉強をする場所ではない。
こうやって必然的に受験者が絞られてしまうので、「世間は狭い」ということになってしまう訳である。

ちなみに自分が勤める会社に同じ高校の卒業生が多いと書いたけれども、何もぼくの卒業した高校だけじゃない。
入社して最初に配属された部署には、湘南地方を代表する某有名私立校の卒業生が二名いた。そんな感じで、なんだか自分の同類項で溢れ返っている。
ビジネスパーソンだった親父さんの葬式でハガキを送ったら、高校の大先輩からお手紙を頂戴して恐縮することもあった。

やっぱり「餅は餅屋」ではないけれども、試験勉強が得意な連中が得意とする業種は存在している。そういった仕事は、得意な連中に任せておいた方が無難なことが多いかと思う。悪いけれども著名Youtuberたちに官僚になって欲しいとは、あんまり思えない。
もちろん官僚や法曹界や医療だけで社会は成立しない。社会というシステムは、いろんな人々で構成されている。「この層の者は必要ない」などということはありえない。

そんな訳で若干飛ばした内容になってしまったけれども、弁護士とか医者とか官僚とか大企業の社員というのは、実はけっこう高校繋がりというのは多かったりする。
歳を取ると、同窓会の回数も多くなっているような気がする。

それに人格形成の一番重要な高校時代を一緒に過ごしている訳である。やっぱり何かあった時に連絡を取り合う確率は、昔から大学の研究室よりも高校時代の同級生の方が高い。

そんな訳で最近世間を騒がせている官僚汚職で同じ高校の云々は、ぼくとしては聞いていても大して違和感が生じない訳なのである。考えてみたらぼくにしても、たしか財務省に同じクラスから仲良し二人組が入庁していたような気がする。
(一人は若い時に米国で事故に遭い、残念ながら故人となっているけれども)

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静